田山涼成は東大出身?学歴の真相を解説!

田山涼成は東大出身
記事のポイント
  • 田山涼成は東大出身ではなく、最終学歴は高卒で大学には進学していない
  • 東大の噂は劇団「夢の遊眠社」が東大構内を拠点にしていたことが原因
  • 文学座研究所15期生として同期にはNHK「おかあさんといっしょ」のたいらいさおがいた
  • 愛知大学卒という噂もWikipediaの誤記載が広まったもので事実無根
  • 28歳で夢の遊眠社に入団した経緯には野田秀樹への熱烈なアプローチがあった
  • 東大の学食を利用していたことも誤解を招いた要因の一つ

はじめに:東大出身説の真相

名バイプレーヤーとして日本の映画・ドラマ界に欠かせない存在となっている田山涼成さん。

インターネット上では「東大出身」「愛知大学卒業」といった学歴に関する情報が錯綜しています。

しかし、結論から申し上げると、田山涼成さんは大学には進学しておらず、

最終学歴は高校卒業です。

では、なぜこのような誤った情報が広まってしまったのでしょうか。

その背景には、田山さんの演劇人生と深く関わる「夢の遊眠社」との絆がありました。

田山涼成のプロフィールと学歴

基本プロフィール

  • 本名:高山良一(たかやま りょういち)
  • 生年月日:1951年8月9日(2026年2月時点で74歳)
  • 出身地:愛知県名古屋市緑区
  • 身長:171cm
  • 血液型:A型
  • 所属:シス・カンパニー

実際の学歴

田山涼成さんの学歴を時系列で整理すると以下のようになります。

  • 小学校:名古屋市立鳴海小学校
  • 中学校:名古屋市立鳴海中学校
  • 高校:詳細不明(名古屋市内の高校と推測される)
  • 高校卒業後:文学座附属演劇研究所に入所(1974年卒業・第15期生)

田山さんは5人兄弟(兄、姉、本人、弟、妹)の真ん中として育ち、幼少期は内気で引っ込み思案な性格だったといいます。

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子役時代から文学座へ:演劇への道のり

児童劇団への入団

1962年、11歳の時に母親の勧めで日本放送協会名古屋局の放送児童劇団に入団します。

内向的な性格を心配した母親が、将来のために演劇の道へと導いたのです。

子役時代には、NHKで放送されていた「中学生日記」の前身番組である「中学生時代」(1969年放送の「中学生群像」)に主役で出演。

この作品が、田山さんが本格的に芝居に目覚めるきっかけとなりました。

運命を変えた高校時代の観劇体験

高校1年生の時、テネシー・ウィリアムズの名作「欲望という名の電車」を観劇し、大きな感銘を受けます。

田山さん自身がインタビューで語っているところによると、「いまよりも一歩進んだ、新しいものを見つけるようにしよう」と思ったこの気持ちが、その後の演劇人生を貫く原動力となったといいます。

文学座研究所での修業時代

高校卒業後、田山さんは大学進学ではなく、文学座附属演劇研究所への入所を選択します。

1974年に第15期生として卒業するまで、演技の基礎を徹底的に学びました。

文学座は1937年に創設された日本を代表する新劇団で、その研究所は俳優養成機関として高い評価を得ています。

同期生には

  • たいらいさお(NHK「おかあさんといっしょ」3代目うたのおにいさん)

また、前後の期には内藤剛志(16期生)、松澤一之(17期生)、山下真司(17期生)、渡辺徹(20期生)など、そうそうたる俳優たちが名を連ねています。

文学座研究所時代の田山さんは、オーディションで中村雅俊の「ふれあい」を歌ったというエピソードも残っています。

また、生活費を稼ぐために、縁日のおもちゃ屋、レストランの皿洗い、缶詰工場での不良品チェックなど、さまざまなアルバイトを経験しました。

当時は家賃3,000円の3畳間、その後家賃7,000円の4畳半アパートに住んでいたという、まさに下積み時代を送っていたのです。

東大出身説の真相:「夢の遊眠社」との運命的な出会い

28歳での劇団入団

1979年、28歳の田山涼成さんは、人生を変える大きな決断をします。

野田秀樹さんが主宰する劇団「夢の遊眠社」への入団です。

夢の遊眠社とは

夢の遊眠社は、1976年に野田秀樹さんが東京大学演劇研究会を母体として結成した劇団です。

当初は東京大学構内の駒場小劇場を拠点として活動していました。

東京大学演劇研究会に在籍していたメンバーで構成され、

野田秀樹さんの革新的な演出と独特の言葉遊びを駆使した芝居で、1980年代の若者文化を象徴する存在となりました。

田山涼成が夢の遊眠社に惹かれた理由

文学座を卒業後、貧乏だったため東大の学食で食事をしていた田山さんは、偶然「夢の遊眠社」の公演チラシを目にします。

初めは東大のアマチュアサークルだったため軽い気持ちで観劇しましたが、その芝居に衝撃を受けます。

「今まで自分がやってきた劇を、すべて否定されているような、お芝居の中に哲学が流れているかのような」感覚を覚えた田山さんは、

チラシに載っていた電話番号にすぐさま電話をかけます。

電話口で出た男性に対して、田山さんは一方的に熱意を語り続けました。

「私は29歳で役者をやってまして…もうできあがってて、

そんな役者は使わないって…東大生でもないんで劇団に入れてもらえないかもしれないですけど…とにかく野田氏に会いたくて…」

この情熱に打たれたのか、面倒になったのか、野田さんのアパートで会うことになり、見事入団を果たしたのです。

東大構内への出入りが誤解を生んだ

夢の遊眠社の劇団員として、田山さんは東京大学構内の駒場小劇場に頻繁に出入りすることになります。

さらに、経済的に厳しかった田山さんは、東大の学食を利用していました。

当時28歳という年齢は、大学生と見紛うこともある年代です。

東大構内に頻繁に出入りし、学食で食事をする田山さんの姿を見た人々が、

「東大の学生(あるいは卒業生)だ」と勘違いしたのは無理もないことでした。

こうして、「田山涼成=東大出身」という誤った情報が広まっていったのです。

夢の遊眠社での活動

夢の遊眠社では、田山さんは主要メンバーとして多くの作品に出演しました。

  • 「半神」(1988年)
  • 「野獣降臨(のけものきたりて)」
  • 「ゼンダ城の虜」(1992年・解散公演)

など、野田秀樹さんの代表作に数多く出演し、演劇人としての実力を磨いていきます。

1987年にはエディンバラ国際フェスティバル、1988年にはニューヨーク国際芸術祭に参加するなど、国際的な活動も経験しました。

劇団は1992年11月23日、シアターアプルでの「ゼンダ城の虜」公演を最後に解散。

田山さんにとって、夢の遊眠社での13年間は、かけがえのない財産となりました。

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愛知大学出身説の真相:Wikipediaの誤記載

Wikipediaへの誤った記載

東大出身説と並んで広まったのが、「愛知大学出身」という噂です。

これは、かつてWikipediaに「愛知大学卒業」と誤って記載されていたことが原因です。

田山さんの出身地が愛知県名古屋市であることから、誰かが推測で「愛知大学では?」と記載してしまい、

それがインターネット上で事実として広まってしまったと考えられます。

本人による明確な否定

2016年6月、田山さんは日本テレビ系列「笑ってコラえて!」に出演した際、この学歴の噂について明確に否定しています。

「東大だって言われるんですよ。劇団が東大の夢の遊眠社だったんです。

(劇団に)行ってたら東大生と間違えられ、なんとかペディア(ウィキペディア)に大学行ってないって言ってるのに愛知大学出身とか。消しといていただけますか!」

この発言により、東大出身説も愛知大学出身説も、いずれも誤りであることが確定しました。

現在、Wikipediaからは愛知大学出身の記載は削除されています。

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田山涼成の俳優人生:下積み時代から名脇役へ

日活ロマンポルノ時代

文学座卒業後から夢の遊眠社時代にかけて、田山さんは生活のために日活ロマンポルノ作品に多数出演しています。

「ヌケの田山」と呼ばれるほど、若い頃は演技が熱くなりすぎてよく注意されたというエピソードも残っています。

32歳での結婚と妻の支え

1983年、32歳の時に結婚しますが、当時の田山さんの年収はわずか39万円でした。

妻の淑恵さんは元舞台女優でしたが、田山さんの夢を支えるために劇団を退団し、一般企業で働きながら家計を支えました。

毎日栄養バランスを考えた弁当を作り、田山さんの演劇活動を陰で支え続けたのです。

田山さんは愛妻家として知られ、「浮気なんてとんでもないです。

私みたいな人を夫にしてくれた妻に失礼ですよ」と発言したこともあります。

妻の淑恵さんは「レギュラー」という言葉に弱く、夫のレギュラー番組出演が決まると泣いて喜ぶこともあるそうです。

長い下積み時代を共に過ごした夫婦の絆が感じられるエピソードです。

52歳での大ブレイク

長い下積み時代を経て、2003年、52歳の時に転機が訪れます。テレビドラマ「特命係長 只野仁」への出演です。

腰が引けた冴えない課長役を演じた田山さんは、この作品で一気に全国的な知名度を獲得。

以降、ドラマや映画に欠かせない名脇役として活躍することになります。

「役人俳優」としての確立

田山さんは自ら「役人俳優」を自称するほど、小役人役を得意としています。

  • 質屋のおやじ
  • 医者
  • 刑事
  • 汚職官僚
  • 警察署長
  • 教師

など、さまざまな職業の役を演じ分ける演技力は、文学座や夢の遊眠社で培った確かな基礎があってこそです。

60歳を超えても挑戦を続ける

2011年、60歳の時には芸歴49年目にして初めてミュージカルに挑戦。

宮本亜門演出の「太平洋序曲」に出演しました。

また、バラエティ番組にも積極的に出演し、2011年には日本テレビ「ぐるぐるナインティナイン」の人気コーナー「ゴチになります!」に1年間レギュラー出演。

「視聴者目線でいい味を出している」と好評を博しました。

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田山涼成から学ぶ演劇人生の教訓

新しいものを求め続ける姿勢

高校1年生の時に「欲望という名の電車」を観て感じた「いまよりも一歩進んだ、新しいものを見つけるようにしよう」という気持ちは、

田山さんの演劇人生を貫くテーマとなっています。

諦めない情熱の大切さ

29歳という年齢で、東大生でもないのに「夢の遊眠社」に入団を志願し、電話で一方的に熱意を語り続けた田山さん。

その情熱があったからこそ、野田秀樹さんとの出会いが実現し、演劇人生が大きく開けたのです。

支えてくれる人への感謝

年収39万円という厳しい状況でも夢を支え続けてくれた妻への感謝を忘れず、愛妻家として知られる田山さん。

52歳でようやく訪れたブレイクまで、共に歩んでくれた妻の存在が大きな支えとなりました。

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まとめ:田山涼成の学歴と演劇人生の真実

記事全体の要点

  • 田山涼成は東京大学にも愛知大学にも進学しておらず、最終学歴は高校卒業である
  • 東大出身という噂は、劇団「夢の遊眠社」が東大構内の駒場小劇場を拠点にしていたことが原因
  • 田山涼成は東大の学食を利用しており、28歳という年齢もあって東大生と誤解された
  • 愛知大学出身という噂は、Wikipediaへの誤記載が広まったもので根拠はない
  • 2016年「笑ってコラえて!」で本人が両方の学歴を明確に否定している
  • 文学座附属演劇研究所15期生として演技の基礎を学び、同期にはたいらいさおがいた
  • 29歳の時、野田秀樹さんへの熱烈なアプローチで夢の遊眠社への入団を果たした
  • 夢の遊眠社では1979年から1992年の解散まで13年間、主要メンバーとして活躍
  • 年収39万円の下積み時代を支えた妻の淑恵さんとの絆は今も強い
  • 52歳で「特命係長 只野仁」に出演し、名脇役としての地位を確立
  • 60歳を超えてもミュージカルやバラエティ番組に挑戦し続ける向上心を持つ
  • 「新しいものを見つける」という高校時代の決意が、演劇人生を貫くテーマとなっている

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