
- 吉田類は大学に進学せず、高校卒業後すぐに海外へ
- 約10年間パリを拠点にシュールアート画家として活動
- 「東京芸大」「早稲田大学」出身説はすべて誤情報
- 中学・高校は京都で過ごすも学校名は非公表
- 高知・仁淀川の大自然が人生の原点
- 学歴より実体験を重視した独自の学びのスタイル
BS-TBSの人気番組「吉田類の酒場放浪記」でおなじみの吉田類さん。
番組内で見せる博識ぶりや、最後に詠む俳句の深い洞察力から、「高学歴なのでは?」「どこの大学出身なんだろう?」と気になっている方も多いのではないでしょうか。
実は吉田類さんは、大学には進学していません。
高校卒業後すぐに海外へ渡り、約10年間にわたってパリを拠点に画家として活動していました。
一般的な学歴の枠には収まらない、独自の学びの道を歩んできた人物です。
この記事では、吉田類さんの小学校から高校までの学歴、そしてパリでの芸術修行時代について詳しく解説します。
また、なぜ大学に進学しなかったのか、学歴がなくても現在のような成功を収められた理由についても考察していきます。
吉田類さんの人生から、学歴に頼らない生き方のヒントが見つかるかもしれません。
吉田類の学歴一覧|大学には進学せず海外で芸術修行
まずは吉田類さんの学歴を整理してみましょう。以下の表にまとめました。
| 学歴区分 | 所在地・詳細 | 備考 |
|---|---|---|
| 小学校 | 高知県高岡郡仁淀村(現・仁淀川町) | 仁淀川の大自然の中で育つ |
| 中学校 | 京都府内(学校名非公表) | 小学校卒業後に京都へ移住 |
| 高校 | 京都府内(学校名非公表) | 最終学歴 |
| 大学 | 進学せず | 高校卒業後すぐに海外へ |
| 海外修行 | パリ、ニューヨーク、ヨーロッパ各地 | 約10年間、シュールアート画家として活動 |
吉田類さんは1949年6月1日生まれで、高知県高岡郡仁淀村(現在の仁淀川町)出身です。
幼少期を高知の豊かな自然の中で過ごし、小学校卒業と同時に京都へ移住しました。
中学・高校の6年間を京都で過ごした後、大学には進学せず、20代の頃にニューヨークやヨーロッパへ渡り、約10年間にわたって絵画の修行に励みました。
「東京芸大出身」「早稲田大学出身」は誤情報
インターネット上では、吉田類さんについて「東京芸術大学出身」「早稲田大学出身」「美大卒」といった情報が散見されますが、これらはすべて誤りです。
吉田類さん本人が公式に語っている経歴では、大学に進学したという記録は一切ありません。
おそらく、吉田類さんの博識ぶりや芸術的な才能から、「きっと有名大学出身に違いない」という憶測が広まったものと思われます。
また、同姓同名の別人の情報と混同されている可能性もあります。
正確な情報としては、吉田類さんは高校卒業後、国内の大学には進学せず、独学で絵を学びながら海外へ渡ったというのが事実です。
吉田類が大学に進学しなかった理由と時代背景
吉田類さんはなぜ大学に進学しなかったのでしょうか。本人の発言や当時の時代背景から、その理由を探ってみます。
高校卒業後すぐに海外へ飛び出した決断
吉田類さんは京都の高校を卒業すると、すぐに海外へと旅立ちました。
当時の吉田さんには「絵を描きたい」「芸術を学びたい」という強い思いがあり、日本の美術大学で学ぶよりも、本場のヨーロッパで直接芸術に触れたいと考えたようです。
幼少期から絵を習い、俳句を詠んでいた吉田さんにとって、芸術は生活の一部でした。
高知の大自然の中で培われた感性と、京都の歴史的・文化的な環境で磨かれた美意識が、彼を海外へと駆り立てたのかもしれません。
大学という枠組みの中で学ぶよりも、自分の足で世界を歩き、実際に作品を創りながら学ぶことを選んだのです。
1960年代後半という時代性
吉田類さんが高校を卒業したのは1960年代後半です。
この時代は、日本でも学生運動が盛んになり、既存の価値観や体制に疑問を持つ若者が増えていた時期でした。
また、高度経済成長期の真っ只中でもあり、日本社会全体が大きく変化していました。
このような時代背景の中で、吉田さんのように「型にはまらない生き方」を選ぶことは、現代よりもある意味で自然だったのかもしれません。
大学に進学することが必ずしも成功への道ではないという考え方が、一部の若者の間で共有されていた時代でもあります。
吉田さんの決断は、時代の空気とも共鳴していたと言えるでしょう。
パリを拠点とした約10年間の芸術修行
吉田類さんの人生において、最も重要な時期の一つが、パリを拠点とした約10年間の芸術修行時代です。
この時期の経験が、現在の「酒場詩人」としての彼の土台を築きました。
シュールアート画家としての活動
吉田類さんはパリにアトリエを構え、シュールアート(超現実主義)の画家として活動していました。
シュールアートは、夢や無意識の世界を表現する芸術運動で、20世紀前半にヨーロッパで隆盛を極めたジャンルです。
吉田さんは、この前衛的な芸術スタイルに強く惹かれ、自らの作品制作に没頭しました。
パリでの生活は決して楽ではなかったと思われますが、吉田さんは絵を描き続けながら、詩や写真にも深く関わっていきました。
多岐にわたる芸術表現を追求する中で、彼の感性はさらに研ぎ澄まされていったのです。
美術館が教室、街が大学だった日々
吉田類さんは、特定の美術学校に通うのではなく、美術館を巡り、好きな画家の作品を直接見て学ぶというスタイルを貫きました。
ルーヴル美術館やオルセー美術館など、パリには世界有数の美術館が数多くあります。
吉田さんにとって、これらの美術館こそが教室であり、パリという街そのものが大学だったのです。
また、パリを拠点にロンドン、ウィーン、アムステルダムなど、ヨーロッパ各地を放浪しました。
様々な都市の美術館や画廊を訪れ、現地のアーティストと交流し、自らの作品を発表する機会も得ていたと考えられます。
このような実体験を通じた学びは、どんな大学の授業よりも濃密で、彼の人生に大きな影響を与えました。
ヨーロッパの酒場文化との出会い
パリ時代のもう一つの重要な要素が、ヨーロッパの酒場文化との出会いです。
吉田類さん自身が後に語っているところによると、「酒場放浪記」のような飲み方はヨーロッパで覚えたものだそうです。
ロンドンのパブやパリのカフェ、ドイツのビアホールなど、ヨーロッパには多様な酒場文化があります。
特にロンドンのパブでは、立ち飲み(スタンディング)が基本で、隣り合った人と気軽に会話を楽しむ習慣があります。
吉田さんはこうした場所で、人と人との適度な距離感や、初対面の人ともすぐに打ち解けるコミュニケーション能力を身につけたのです。
この経験が、現在の「酒場放浪記」での絶妙な立ち振る舞いや、店主やお客さんとのナチュラルな会話に繋がっています。
芸術だけでなく、人間としての深みもパリ時代に培われたと言えるでしょう。
高校・中学時代は京都で過ごす
吉田類さんの中学・高校時代は、京都という歴史と文化の街で過ごされました。
この6年間が、彼の芸術的感性を育む重要な時期となりました。
小学校卒業と同時に京都へ移住
吉田類さんは小学校を卒業すると同時に、生まれ育った高知県を離れ、憧れの地である京都へ移住しました。
高知の山奥で育った少年にとって、京都は全く異なる世界だったはずです。
千年の都と呼ばれる京都には、数多くの寺社仏閣があり、伝統的な美意識が街全体に息づいています。
なぜ京都だったのか、その詳しい経緯は公表されていませんが、吉田さん自身が「かねてから憧れを抱いていた京都」と語っていることから、
幼い頃から京都という街に特別な思いを抱いていたことがうかがえます。
家族の事情もあったかもしれませんが、吉田さんにとって京都への移住は、新しい世界への扉を開く大きな一歩となりました。
京都という文化都市が与えた影響
京都で過ごした中学・高校時代は、吉田類さんの美的センスを磨く上で非常に重要な時期でした。
高知の大自然で育まれた野性的な感性と、京都の洗練された文化が融合し、独特の美意識が形成されていったと考えられます。
京都には、金閣寺や銀閣寺、清水寺といった歴史的建造物だけでなく、茶道や華道、能楽といった伝統芸能も根付いています。
日常的にこうした文化に触れることで、吉田さんの中に「雅(みやび)」な感覚が育っていったのでしょう。
現在の吉田類さんが持つ、どことなく漂う上品さや、言葉選びの美しさは、この京都時代にルーツがあると思われます。
学校名が非公表である理由
吉田類さんの出身中学・高校の具体的な学校名は、公式には明かされていません。
これについては、本人のプライバシーを尊重するためという理由が考えられます。
また、吉田さん自身が学歴にこだわらない生き方をしてきたため、あえて学校名を公表する必要性を感じていないのかもしれません。
重要なのは、どこの学校を卒業したかではなく、京都という街で何を学び、どのように成長したかという点です。
吉田類さんの人生においては、学校の名前よりも、その場所で得た経験や感性の方がはるかに大きな意味を持っているのです。
高知・仁淀川での幼少期が原点
吉田類さんの人生の原点は、高知県仁淀川町(旧・仁淀村)での幼少期にあります。
ここでの経験が、彼の「野生」と「知性」のバランス感覚を育みました。
自然に囲まれた環境で育つ
吉田類さんが生まれ育った仁淀川町は、「仁淀ブルー」と呼ばれる奇跡的に美しい清流・仁淀川の上流域に位置します。
周囲を険しい山々に囲まれた地域で、豊かな自然に恵まれた環境です。
吉田さんは子供の頃から冒険好きで、仁淀川の急峻な山々に囲まれた渓谷を駆け巡り、まるで「仁淀川の河童」のように急流を泳ぎ回っていたそうです。
中津渓谷にある雨竜の滝のような危険な場所でも遊び、その経験が後の「釣り名人」としての才能を育んだとも言われています。
学校教育云々よりも、毎日が自然との格闘であり、遊びでした。
川で魚の習性を知り、山で動物たちと触れ合う。まさに「野生児」としての英才教育を受けていたと言えるでしょう。
この幼少期の体験が、現在の酒場や旅をこよなく愛する彼の放浪癖や、自然や人との出会いを大切にする姿勢に繋がっています。
母の影響で俳句と絵画に親しむ
一方で、吉田家には文化的な香りも漂っていました。
吉田さんは3歳で父親を亡くされていますが、母親が俳句を嗜んでおり、自宅には地元の俳人や画家たちが集まっていたそうです。
まるで自宅が小さな「文化サロン」のような状態だったのです。
幼い吉田類さんは、大人たちの会話や創作活動を間近で見ながら育ちました。
小学生の頃にはすでに絵を習い始め、初めて俳句を詠んだのもこの時期です。
彼が現在「酒場詩人」として俳句を詠むルーツは、間違いなくこのお母様の影響にあります。
高知の山奥で、ヤギの乳を飲みながら育ちつつ、一方で芸術的な感性も磨いていた。
この「野生」と「知性」のバランス感覚こそが、吉田類さんの最大の魅力ではないでしょうか。
学校の成績表には表れない、生きるための力と芸術への愛。それらはすべて、この高知での少年時代に種がまかれていたのです。
帰国後の転身とイラストレーターとしてのキャリア
約10年間のヨーロッパでの芸術修行を終えた吉田類さんは、30代半ばで日本に帰国しました。
そして新たなキャリアとして、イラストレーターの道を歩み始めます。
30代半ばで日本に戻る
パリでの画家生活は充実していましたが、吉田さんは30代半ばという節目の時期に日本へ戻ることを決意します。
帰国の理由については詳しく語られていませんが、芸術家としての経験を日本で活かしたいという思いがあったのかもしれません。
帰国後、吉田さんはイラストレーターとして活動をスタートさせました。
画家としての技術や感性を活かしながら、商業的なイラスト制作に携わるようになったのです。
また、この頃から酒場や旅に関する執筆活動も始めています。
1990年代には俳句愛好会「舟」を主宰し、酒場文化をテーマにした著書を多数出版しました。
パリ時代に培った芸術的感性と、ヨーロッパの酒場で学んだコミュニケーション能力が、この時期に一つに融合し始めたと言えるでしょう。
「酒場放浪記」出演までの道のり
吉田類さんの名前を全国に知らしめたのが、2003年から始まったBS-TBSの番組「吉田類の酒場放浪記」です。
全国各地の居酒屋を訪ね歩き、店主や常連客と語り合い、最後に一句詠むというスタイルが多くの視聴者の心を捉えました。
番組は2021年2月22日の放送で「放浪1000回」を達成するなど、長寿番組となっています。
また、2022年からはNHKの「にっぽん百低山」にも出演し、登山歴30年以上の経験を活かして低山の魅力を紹介しています。
吉田類さんの成功は、決して偶然ではありません。
高知での自然体験、京都での文化的素養、パリでの芸術修行、そしてヨーロッパの酒場で学んだコミュニケーション能力。
これらすべてが積み重なって、現在の「酒場詩人」という唯一無二のキャラクターが生まれたのです。
吉田類の学歴から学べること
吉田類さんの学歴を振り返ると、学歴という枠組みだけでは測れない、人生の豊かさや学びの多様性が見えてきます。
学歴がなくても成功できる理由
吉田類さんは大学に進学していませんが、現在では「酒場詩人」として多方面で活躍し、多くの人々に愛されています。
これは、学歴がすべてではないことを示す好例と言えるでしょう。
重要なのは、吉田さんが「学ばなかった」のではなく、「自分の方法で学んだ」という点です。
パリという街全体を大学とし、美術館を教室とし、酒場を社交場として、実体験を通じて深い教養と感性を身につけました。
学歴がなくても、学び続ける姿勢と好奇心があれば、豊かな人生を築くことができるのです。
独学と実体験の価値
吉田類さんの人生が教えてくれるのは、独学と実体験の価値です。
教科書や講義で学ぶ知識も大切ですが、実際に自分の足で世界を歩き、様々な人と出会い、
多様な文化に触れることで得られる学びは、何物にも代えがたいものです。
吉田さんは、高知の自然の中で生きる力を学び、京都の文化の中で美意識を磨き、パリの芸術と酒場文化の中で人間としての深みを増しました。
これらはすべて、教室では学べない貴重な経験です。
学歴にこだわらず、自分が本当に学びたいことを追求する勇気が、結果的に豊かな人生につながることを、吉田さんの生き方が証明しています。
現代における学びの多様性
現代社会では、大学進学率が高まり、学歴がキャリア形成において重要視される傾向があります。
しかし、吉田類さんの例が示すように、学びの道は大学だけではありません。
インターネットの発達により、独学の環境は飛躍的に向上しました。
オンライン講座や専門書、様々な分野の第一人者の情報に、誰でもアクセスできる時代です。
また、留学やワーキングホリデー、ボランティア活動など、実体験を通じて学ぶ機会も増えています。
吉田類さんが1960年代に選んだ「型にはまらない学び方」は、現代においてより多くの選択肢として存在しています。
大切なのは、自分に合った学びの方法を見つけ、生涯にわたって学び続けることではないでしょうか。
まとめ:吉田類の学歴は「人生という大学」の記録
吉田類さんの学歴を調査した結果、彼は大学には進学せず、高校卒業後すぐに海外へ渡り、約10年間パリを拠点に画家として活動していたことが分かりました。
具体的な出身校は、小学校が高知県仁淀川町、中学・高校は京都府内の学校ですが、学校名は公表されていません。
吉田類さんの最終学歴をあえて名付けるなら、「人生大学 パリ・放浪学部 酒場学科」の主席卒業といったところでしょうか。
高知の大自然で培った野生の感性、京都の文化で磨かれた美意識、そしてパリの芸術と酒場で学んだ人間的な深み。
これらすべてが融合して、現在の「酒場詩人」吉田類が誕生しました。
吉田類さんの人生は、学歴だけが成功への道ではないこと、自分らしい学び方を貫くことの大切さを教えてくれます。
これからも、その深い教養と経験に裏打ちされた楽しいお酒の旅で、私たちを楽しませてくれることでしょう。
要点まとめ
- 吉田類は1949年高知県仁淀村生まれ、小学校卒業後に京都へ移住
- 中学・高校を京都で過ごしたが、具体的な学校名は非公表
- 高校卒業後、大学には進学せずニューヨークやヨーロッパへ
- パリを拠点に約10年間、シュールアート画家として活動
- 特定の美術学校には通わず、美術館や街で独学スタイルを貫く
- ヨーロッパの酒場文化で人との距離感やコミュニケーション能力を習得
- 「東京芸大」「早稲田大学」出身という情報はすべて誤り
- 30代半ばで帰国後、イラストレーターとして活動開始
- 2003年から「酒場放浪記」に出演、全国的な人気を獲得
- 幼少期から母の影響で俳句と絵画に親しむ文化的環境で育つ
- 学歴がなくても独学と実体験で豊かな教養と感性を身につけた
- 現代における学びの多様性を体現する「型破りな人生」の実例

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